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意味なき秩序

通過する。 同じ道。 同じ時間帯。 近隣に現れる人物。 親子連れ。 身体的特徴が目立つ人物。 断続的に出現する。 偶然ではない。 重なりが発生する。 複数の対象。 同じ空間。 情報は断片的。 インターネットに接続する。 投稿。 反応。 短時間で再現される。 匿名性。 属性は不明。 条件が揃うと、異なる対象は一括して分類される。 出現頻度が高い。 意図は明示されない。 断片情報の反復。 脳は形式とタイミングで処理する。 個別の属性は無視される。 覚えておくこと。 刺激は偶然ではない。 重なりは影響を与える。 現実空間も。 ネット空間も。 同じ構造である。 通知を切る。 刺激量を減らす。 重なりの知覚は変化する。 対象は人ではない。 時間。 頻度。 不確実性。 繰り返す。 情報は断片的。 意図は不明。 条件が揃うと、一つの意味が生まれる。 巻き込まれないこと。 距離を置くこと。 有効である。 今日も観察を続ける。 条件の変化。 反応パターン。 分類の傾向。 注意深く。 過剰な解釈は避ける。 この日記は記録である。 判断ではない。 分類でも評価でもない。 ただ、刺激を分離し、条件のみに着目する。 記録を続ける限り、 外部からの刺激は増減し、 認知のプロセスは明確に浮かび上がる。 現実も、オンラインも。 共通のパターンが、そこにある。  

新年のご挨拶

 新年のご挨拶 あけましておめでとうございます。 新しい年の始まりは、何かを急いで変えるというよりも、これまでの自分を静かに点検する時間のように感じています。昨年の出来事を振り返ると、疲れや違和感を覚えた瞬間ほど、自分の限界や大切にしたい価値観がはっきりと浮かび上がってきました。 うまくいかなかったことは、失敗というよりも「調整が必要だと教えてくれたサイン」だったのだと思います。心や生活のどこに負荷がかかっていたのかを知ることは、回復への第一歩でもあります。 今年は、無理に強くなろうとせず、回復できる環境を整える一年にしたいと考えています。静かな時間を確保すること、違和感を小さなうちに言葉にすること、安心できるリズムを生活の中に戻すこと。その積み重ねが、結果的に前進につながると信じています。 このブログも、答えを急がずに考え続けるための記録として続けていきます。読む方にとっても、「少し立ち止まってもいい」と思える場所になれば嬉しいです。 本年が、心身ともに回復と再構築の一年になりますように。 どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

年末のご挨拶

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 今年ももうすぐ終わります。 振り返れば、完全に支えのない状況の中で、私たち素人や傷病者もできる限りのことをやってきました。小さな努力でも、現場で役立つことがあればと思い、精一杯関わってきた自分を少し誇りに思います。 しかし現実は、支えや体制が全く整っていないため、現場の安全性や業務の精度に影響が出ていることも否めません。専門職の皆さんを本当に支えているのは、私たちではなく、整った制度や倫理に沿った体制です。 来年は、この現状を改善し、精度や安全性が確保された環境を回復させることが急務だと感じています。行政や公的機関の体制整備も含め、皆が安心して働ける仕組みを作ることが、責任でもあります。 辛辣に聞こえるかもしれませんが、それも皆さんへの敬意と期待の表れです。 どうぞ体に気をつけて、良い年末年始をお迎えくださ

心が軽くなる日

久しぶりに、人の多い一日だった。 仕事は長い間一人でデータ関連、医療福祉教育行政関連、サポート関連に関わるものをやっていて、何年も人と直接関わることがほぼなかった。それが特別つらいとも思っていなかった。 ライブハウスに行った。音は大きく、人は多かった。照明の中で、ステージに立つ人たちは淡く輝いて見えた。周囲には知らない人ばかりで、会話はほとんどなかったが、同じ場所にいるという事実だけは共有されていた。 そのあと喫茶店に入った。 何気ない会話がいくつか聞こえてきた。毒も薬もない、意味を持たないようなやり取りだった。誰かを傷つけることも、持ち上げることもない。ただ時間を埋めるための言葉だった。 店員の対応も含めて、全体的に角のない空間だった。優しい世界というほど大きな話ではないが、少なくとも、警戒する必要はなかった。 帰る頃には、頭の中が少し軽くなっていた。 大人数の中にいたことと、何気ない会話に囲まれていたことが、結果的にストレス解消になっていたのだと思う。 それだけの一日だった。 しばらく忘れていた呼吸を、思い出したような気がした。

夜の回游

仕事終わりの夜、ふと思い立って散歩がしたくなり、電車に乗った。 最近は忙しさが続いていて、移動中は爆睡しては目を覚まし、また眠る、を繰り返している。寝起きと寝しなの機嫌の悪さには自覚がある。かつて、人の腕を噛んだことがあるほどには一級品だ。 普段は耐えて、我慢して、なるべく大人しく振る舞っている。そのせいか、限界を超えて振り切れた瞬間、私は地雷になる。一度火がつくと、もう誰にも止められない。ただし、不思議なことに、良い方向へ転んだときは、どこまでも良くなれる。 この一週間は、気圧の変化と地震のフラッシュバックにやられて、体調が思わしくなかった。 だから意識的に、食事、睡眠、清潔、そしてほんのわずかな運動。生きるための基本だけを、黙々と繰り返した。 地震があった夜は、さすがに現実的な行動に出た。 山賊のようなリュックを引っ張り出し、冷蔵庫の薬品庫からオキシドール、三角巾、ホカロン、カットバン、充電器、着替え、災害用ライト、バランス栄養食、水分、衛生用品。思いつく限りを詰め込んだ。 結果、 「あかん。背負えない。重い(笑)」 備えは大事だが、体力には限界がある。 そこで、Yahooショッピングの最大23%還元のタイミングを狙い、安いキャリーバッグを購入した。生き延びる準備は、気合だけではどうにもならない。 無理なく動ける形に整えることもまた、大人のサバイバルなのだと思う。

無関心の国で、声は消える

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地震後、近隣で火災があった。それも、複数件。火が消えた夜、私はなぜか眠れなかった。焦げた匂いがまだ空気のどこかに残っていて、身体のどこか深いところがずっと微弱な警報を鳴らしていた。周りは「もう大丈夫」と言い切るような雰囲気で、なんなら普段より落ち着いていた。でも私は、どう考えても そんなわけがないとしか思えなかった。 人は、安心したいときほど現実を見なくなる。それが今回の地域の弱点だった。 家の中でじっとしていても、外の変化が気になった。歩く音、誰かが立ち止まる音、遠くで閉まるドアの重さ。普段なら気にも留めない音のひとつひとつが、微妙にずれて聞こえる。焦げの匂いの奥に、普段は感じない金属っぽい匂い。風の流れに、わずかに混じるよそ者の気配。こういうのは“説明できない感覚”だ。だけど私は、この手の違和感が外れたことはほとんどない。災害の直後というのは、環境が狂っている。だから、普段の感覚がよく働く人ほど、早く気付いてしまう。 実は、私は様々な実力や能力を買われて、何の資格も無くても、実績実力のみで半民半官で北海道胆振東部地震時にガチガチの理系職員の中で、データ班として呼ばれ市役所職員や研究職員を務めていた。他にも、消防団員として、特別職地方公務員としても兼業しながら、10年近く就いていたこともある。女性で私の状態からは稀すぎるくらいで、稀な年齢の若さの時だ。勿論、当時は単なる受付、単なるアルバイトといい、公務であることは何年も伏せていた。ほぼ、若い時から全国点々と。 ■ 周りに声をかけてみた 「火事です」「玄関、閉めたほうがいいですよ」「さっき、不審な男性がいたので気をつけてください」 それだけだ。ただ思ったことをそのまま伝えただけ。ところがその瞬間、相手の表情が一瞬固まる。 “え、あなたが言うの?” そんな空気だった。 つまり、私は普段から、そこまで“意見として扱われていない”ということだ。そしてそのこと自体が、今回の地域の危機の本質だった。 ■ 実際、一番動いたのは誰だったのか 火災直後の片付けでも、連絡でも、状況確認でも、一番動いていたのは、いわゆる「心が弱い側」に分類される人たちだった。または、様々な心や体や生活に困難を抱える人。普段は静かに目立たず生活している人。周囲が勝手に“守られる側”と決めつけている人。そういう人が、今回は一番冷静で、一番早く、一番正確に...

少しずつ、軽くなる日

午後の柔らかい光が、机の上に差し込む。パソコンの前に座り、指をそっと置く。 3年近くだろうか。YouTube に積み重ねた動画は、400 本近くになっていた。どれも派手ではなく、自分自身は一つも写っていないが200回〜5,000回以上のも上げた途端に回る再生数。朝のコーヒーを淹れながら思いついたこと、散歩の途中でふと感じたこと、眠れない夜や朝に静かに上げていた動画。日々の生活の小さな息づかいが、映像に刻まれていた。 静かに決めた。 「もう手放してもいいかな」と。 それらは消えたけれど、まるで息を吐くように、やわらかく、静かに解けていく。すべて消し終えた画面は、真っ白で広い。そこに感じるのは、寂しさではなく、深呼吸できる余白。窓から入る光の温度と、部屋の静けさが、ちょうど心の中の空間と重なる。 そして数日後。 また少しだけ動画をアップロードし始めた。まだ数は少ない。でもそれでいい。 コーヒーを淹れるときの香りに気づくように、窓の外の風に手を伸ばすように、 必要な分だけ、必要なタイミングで、少しずつ。 手放したからこそ、余白ができた。 余白ができたからこそ、また小さな光が置ける。アップロード完了の通知がそっと光る。その光は、生活の中にある小さな息づかいのように、「ゆっくりでいいよ」と教えてくれる。 終わりではなく、日々を取り戻す、静かで優しく、温かな再生。ブログのYouTubeリンクが途切れているのは、そういう事情で恐縮です。たまには、過去のを上げるかもしれない。それは、どこに上げるかは分からないけど、過去は至る所に優しく散りばめらている。