東日本大震災から15年
震災の記憶は、音ではなく温度で残る。 あの日の寒さを、私は覚えている。 三月の空気はまだ冬だった。 東日本大震災の日、私は北海道にいた。 連絡が取れない人がいた。研究職や民間企業、公務、元自営業の身内らだった。 世界が突然、遠くなった。 災害現場の病院では医師や心理士、入院患者が受付をしていた。人間は、壊れると同時に支え合う生き物らしい。一部を除いて。 夜、公園で叫んだことがある。 心が持たなかった。 そんなとき、宗教の勧誘が来た。 私はチラシを投げ返した。 怒りは、時に人を守る。 やがて、一つの命が生まれた。 震災の数か月後だった。 地下鉄の中で、私は電話越しに冗談を言っていた。 「出る出る出る」 恐怖を笑いに変えるしかなかった。 赤ん坊の写真が送られてきたとき、後ろのサラリーマンが拍手した。あの拍手は、命に対する拍手だったのだと思う。 震災は多くのものを奪った。 しかし同時に、命が生まれていた。 絶望の年に、希望も生まれていた。 人間という生き物は、どうやらそういう構造らしい。 一部記録抜粋は以下 東日本大震災時期2011年3月11日以降 当時の所在地:北海道 主な活動 1. 情報収集 ※被災者との直接対話 ※ 災害対策本部との連絡 ※Medecins Sans Frontieres関係者との情報交換 ※被災地病院医療機関との連絡 ※音楽配信、音楽家に協力依頼(パニックを収める、世界に発信協力依頼の相互作用、心理的緩和目的) ※社会福祉協議会に被災者対応相談 2. 心理支援 SNSでの時間認識支援(パニック状態の被災者に対し) 投稿内容 ※おはよう ※お昼だよ ※こんばんは ※水飲んだ? ※ご飯食べた? ※お休みなさい ※24時間いつでも連絡して下さい 目的 災害時の時間感覚喪失を防ぐ(人災、非常事態、海難、遭難経験者の孤独や喪失期を経た特殊な方は時には解るかと思われます。) 3. 行政キャリア選択 震災経験を契機に ※災害対応、生まれた子供ら、市民、自らを護る目的として公務就職目的とした行動 ※地域防災の救命救助活動実務参加 ※消防団、公的機関での民間降り企業従事、不動産、管理、インフラ事業従事、医療福祉機関関連に従事、公務員に従事 ※投資 4. 北海道地震対応(後年) 状況 ※直下型、震度6強地区ど...