個別行為の是非や評価を一切扱わず、反復・集団化した行為の集積により継続的な不利益が発生している状態のみを、事実として整理するものである
静かな集団化が、日常の中で起きている。 今日も、安全な距離を保って生活している。主張はしていない。抗議もしていない。それでも、同じ種類の出来事が、静かに重なっていく。 これは感想ではない。本人にしか見えにくい形で進行する出来事である。 出来事は、特定の場所や属性に限られない。近所、生活圏、医療・介護に関わる場、インターネット上、メディア上、現実の通行・共有空間、年齢、立場、役割はばらばらで、老人、子供、心身の障害の有無、内部障害の有無など、見え方の異なる人々が、同時多発的に関わる。 重要なのは、誰であるかではなく、何が行われているかだ。 本人を避け、周囲に向けた確認や心配、 事実確認のない話題の共有。 噂の脚色と再配布。 反応や様子を確かめに来る行動。 視線・距離・立ち位置による無言の圧「心配」「配慮」という言葉だけの裏で正当化される当事者の大変さを無視して、大変なのは他人と変換され、嫌味や攻撃を含みつつ労うことを聞かされる不利益。 これらは個別には目立たない。しかし、連続し、集団化すると性質が変わる。 この状況では、 誰も号令を出さない。 誰も責任者にならない。 誰も直接攻撃しない。 それでも、対象者の行動が萎縮し、孤立が進む。これは暴力的な騒ぎではない。だが、結果として圧が集中する点で、暴徒化に近い状態が静かに成立している。 いつ見られているか分からない。 どこで噂が流れているか分からない。 誰が関与しているか特定できない。 この「分からなさ」そのものが、当事者に継続的な負荷を与える。 私は、この状態に疲弊している。 私は問題を拡大したいわけではない。 誰かを糾弾したいわけでもない。 ただ、安全に、安心して、自由に、のびのびと生活する生活になり、自分を守りたい。そのために、どれだけ本人が気を使っているか、周りは本人に気を使わせてるかは誰も理解も自覚もしていない、または、如何に存在を蔑ろにして勝手に感情的に周りの話しが進んでいることに本人が殺意さえ持つまで、自殺に追い詰められるまで、体調を他にも壊すまでいるかを知るべきで、周りが改善すべき事だ。私の問題では一切ない。 以下が同時に見られる場合、本人の自覚がなくても加害が成立する可能性がある。 本人の同意のない詮索・確認。 噂や評価の反復的共有。 無言の圧や観察行為。 複数人・複数場所での継続。 当事者が...