「精神疾患なら何を言ってもいい」その考え方こそ、おかしくないか
「精神疾患だから、何を言ってもいい」 「精神疾患だから、傷ついても仕方がない」 「精神疾患だから、怒るほうがおかしい」 「精神疾患だから、まともに扱わなくていい」 こういう考え方をする人間がいる。 しかし、少し考えれば分かる。 精神疾患になった瞬間、その人間の人権まで消滅するわけではない。 病名がついたからといって、人格が消えるわけでもない。 痛みを感じなくなるわけでもない。 侮辱されても傷つかなくなるわけでもない。 そして何より、精神疾患があるという理由だけで、他人から何を言われても黙って耐えなければならない理由など存在しない。 むしろ奇妙なのは、精神疾患のある人を散々侮辱しておきながら、その人が怒った瞬間に、 「ほら、やっぱりおかしい」 と言い出す人間だ。 これは一体、何をしているのだろう。 自分から人を傷つける。 相手が傷つく。 相手が抗議する。 そして、その抗議を「精神疾患の証拠」にする。 これでは最初から何をしても相手のせいにできてしまう。 自分の言動を検証する気が一切ない。 「自分は何を言ったのか」 「なぜ相手は傷ついたのか」 「その言葉は人権を侵害していないか」 そう考える前に、相手の病名を持ち出して片づける。 それは医学的な理解でもなければ、人間理解でもない。 単なる思考停止だ。 さらに悪質なのは、「精神疾患」という言葉を、人間を見下すための便利なラベルとして使うことだ。 気に入らない。 反論された。 怒られた。 思い通りにならない。 だから、 「病気だから」 「頭がおかしいから」 「精神疾患だから」 と決めつける。 それで自分が正しいことになったつもりになる。 しかし、それは議論に勝ったのではない。 相手を人間として扱うことを放棄しただけだ。 精神疾患のある人間にも、当然ながら尊厳がある。 嫌なものは嫌だと言っていい。 傷ついたと言っていい。 怒っていい。 差別されたと訴えていい。 助けを求めてもいい。 そして、それらをすべて「病気だから」で片づけてはいけない。 もちろん、精神疾患があるからといって、どんな言動でも正当化されるわけではない。 そこも同じだ。 問題にすべきなのは病名ではなく、具体的な言動である。 誰が相手でも同じ基準で考える。 それが最低限の公平さではないだろうか。 ところが、精神疾患のある人だけには、その最低限の公平さす...