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無痛

 痛みを感じないということがどれだけ幸せか。 部分はハードさを極め動きづらく、心が削られる。何年か前に宣告をうけたが、それでも治したい。どうしたら良いか話した。自己対処に継ぐ対処の中、仕事や家事を熟し、ストレスから次の検査でさらに別の部位でも重大な宣告を受ける可能性も出てきた。 保険を使うことも考えなければならない。おそらく簡単に通るのだが まだ良い医者がどこかわからない。 ゆっくりと死に向かっていく未来が見えるのは残酷なことだが 悲しむ人を私は 削ぎ落として削ぎ落としてきた。人間を特に身近な人間を悲しませないためにどれだけの時間と努力を費やしただろう。 自分の何十年先の未来が見えていた過去。それがどんな形か想像がついていた。 SNS は 心の問題だけに触れていたが、その人たちを守りたくてただそれだけだった。

「ガラスの天才」うつ病と深い思索の世界

  「うつ病の人は弱い」と思われがちですが、それは誤解です。むしろ、深い感受性や内省性を抱える人々の中には、天才的な思考や創造性を持つ人が少なくありません。 アメリカのピッツァー大学で行われた研究では、MENSA会員3,715名を対象に心理調査を行い、高い知能指数を持つ人の中にはうつ病の傾向があることが分かりました。研究者たちは、鋭敏で深い意識が創造性を高める一方、深い気分の落ち込みに引きずり込む可能性を指摘しています。 このことから分かるのは、うつ病と創造性や高い知能は隣り合わせで存在することがあるという事実です。歴史的にも、膨大な時間を思索に費やし、作品や思想を生み出した人物の多くが、繊細で内省的な精神性を抱えていました。 もちろん注意も必要です。IQだけでは知能を完全には測れないこと、調査対象がMENSA会員に限られていたこと、所得の偏りがあることなど、単純な因果関係ではありません。ですが、少なくとも「深く考える人ほど心が脆くなる可能性がある」という点は示唆されます。 うつ病の人は「ガラスの天才」とも言えます。透明で繊細な心を持ちながら、世界に価値を生み出す力を秘めています。社会がすべきことは、彼らを弱者として扱うことではなく、偏見を取り払い、理解と支援を持って見守ることです。 深く悩み、内省するその力は、決して無駄ではありません。ガラスのように繊細で、しかし確かな価値を生む。それが、うつ病と創造性が交差する世界なのです。

夜中の除雪車

 こんな時間に、除雪車をながめていた。 音だけが先に来る。低く、一定で、感情のない仕事の音。 誰も起きていない道を、ただ平らにしていく。 窓の外は白く、世界は余計な輪郭を失っている。 私は何もしていない。 ただ、除雪車が通り過ぎるのを見ている。 それで十分な夜だった。

個別行為の是非や評価を一切扱わず、反復・集団化した行為の集積により継続的な不利益が発生している状態のみを、事実として整理するものである

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  静かな集団化が、日常の中で起きている。 今日も、安全な距離を保って生活している。主張はしていない。抗議もしていない。それでも、同じ種類の出来事が、静かに重なっていく。 これは感想ではない。本人にしか見えにくい形で進行する出来事である。 出来事は、特定の場所や属性に限られない。近所、生活圏、医療・介護に関わる場、インターネット上、メディア上、現実の通行・共有空間、年齢、立場、役割はばらばらで、老人、子供、心身の障害の有無、内部障害の有無など、見え方の異なる人々が、同時多発的に関わる。 重要なのは、誰であるかではなく、何が行われているかだ。 本人を避け、周囲に向けた確認や心配、 事実確認のない話題の共有。 噂の脚色と再配布。 反応や様子を確かめに来る行動。 視線・距離・立ち位置による無言の圧「心配」「配慮」という言葉だけの裏で正当化される当事者の大変さを無視して、大変なのは他人と変換され、嫌味や攻撃を含みつつ労うことを聞かされる不利益。 これらは個別には目立たない。しかし、連続し、集団化すると性質が変わる。 この状況では、 誰も号令を出さない。 誰も責任者にならない。 誰も直接攻撃しない。 それでも、対象者の行動が萎縮し、孤立が進む。これは暴力的な騒ぎではない。だが、結果として圧が集中する点で、暴徒化に近い状態が静かに成立している。 いつ見られているか分からない。 どこで噂が流れているか分からない。 誰が関与しているか特定できない。 この「分からなさ」そのものが、当事者に継続的な負荷を与える。 私は、この状態に疲弊している。 私は問題を拡大したいわけではない。 誰かを糾弾したいわけでもない。 ただ、安全に、安心して、自由に、のびのびと生活する生活になり、自分を守りたい。そのために、どれだけ本人が気を使っているか、周りは本人に気を使わせてるかは誰も理解も自覚もしていない、または、如何に存在を蔑ろにして勝手に感情的に周りの話しが進んでいることに本人が殺意さえ持つまで、自殺に追い詰められるまで、体調を他にも壊すまでいるかを知るべきで、周りが改善すべき事だ。私の問題では一切ない。 以下が同時に見られる場合、本人の自覚がなくても加害が成立する可能性がある。 本人の同意のない詮索・確認。 噂や評価の反復的共有。 無言の圧や観察行為。 複数人・複数場所での継続。 当事者が...

室内ストーブ表示は0|20。 個人能力の最大化は、全体性能に直結しない。集団内での相互補完が機能している状態の方が、結果は安定する。 正確性の独占は再現性を生まない。 単独での正しさは、共有価値を持たない。 使用するのは空砲。 発火音のみ。 弾薬なし。 以上。

意味なき秩序

通過する。 同じ道。 同じ時間帯。 近隣に現れる人物。 親子連れ。 身体的特徴が目立つ人物。 断続的に出現する。 偶然ではない。 重なりが発生する。 複数の対象。 同じ空間。 情報は断片的。 インターネットに接続する。 投稿。 反応。 短時間で再現される。 匿名性。 属性は不明。 条件が揃うと、異なる対象は一括して分類される。 出現頻度が高い。 意図は明示されない。 断片情報の反復。 脳は形式とタイミングで処理する。 個別の属性は無視される。 覚えておくこと。 刺激は偶然ではない。 重なりは影響を与える。 現実空間も。 ネット空間も。 同じ構造である。 通知を切る。 刺激量を減らす。 重なりの知覚は変化する。 対象は人ではない。 時間。 頻度。 不確実性。 繰り返す。 情報は断片的。 意図は不明。 条件が揃うと、一つの意味が生まれる。 巻き込まれないこと。 距離を置くこと。 有効である。 今日も観察を続ける。 条件の変化。 反応パターン。 分類の傾向。 注意深く。 過剰な解釈は避ける。 この日記は記録である。 判断ではない。 分類でも評価でもない。 ただ、刺激を分離し、条件のみに着目する。 記録を続ける限り、 外部からの刺激は増減し、 認知のプロセスは明確に浮かび上がる。 現実も、オンラインも。 共通のパターンが、そこにある。  

新年のご挨拶

 新年のご挨拶 あけましておめでとうございます。 新しい年の始まりは、何かを急いで変えるというよりも、これまでの自分を静かに点検する時間のように感じています。昨年の出来事を振り返ると、疲れや違和感を覚えた瞬間ほど、自分の限界や大切にしたい価値観がはっきりと浮かび上がってきました。 うまくいかなかったことは、失敗というよりも「調整が必要だと教えてくれたサイン」だったのだと思います。心や生活のどこに負荷がかかっていたのかを知ることは、回復への第一歩でもあります。 今年は、無理に強くなろうとせず、回復できる環境を整える一年にしたいと考えています。静かな時間を確保すること、違和感を小さなうちに言葉にすること、安心できるリズムを生活の中に戻すこと。その積み重ねが、結果的に前進につながると信じています。 このブログも、答えを急がずに考え続けるための記録として続けていきます。読む方にとっても、「少し立ち止まってもいい」と思える場所になれば嬉しいです。 本年が、心身ともに回復と再構築の一年になりますように。 どうぞ今年もよろしくお願いいたします。