社会的貢献と責任の家系の末にあるギャップ
私は、学業成績の面では一貫して日本国内でも上位層に属する環境で育ちました。通っていた高校は、偏差値60〜70以上の進学校で、全国学力テストで上位に入る地域でもあり、学力的には常に全国トップ10%以内に位置していました。数学では12クラス中トップクラスにいました。
進学については、東京の大学や東北大学、または専門学校を志望していましたが、裕福とは言え、中間層に値する家庭の経済的事情から浪人を許されず、「受かったところに入ってくれ」「理系は男しかいないからダメだ」と両親に言われました。特に東京の大学については、「親の目の届かない場所だからダメだ」と反対されました。そして、成績優秀者として、奨学金免除で数学受験で文転しました。
しかし、そうした制約があった一方で、私の家系は非常に特殊な背景を持っています。祖父母は戦後、GHQの指示により農地改革で東京の土地を国家に寄付した大地主であり、その功績により天皇から感謝の言葉をいただいたこともあります。かつての実家は東京の中心部にあり、最近までその土地を保持していました。
私は保育園の頃から、大人たちの社交界に参加させられ、「日本人形」として振る舞いやマナー、表と裏の顔の使い分けを徹底的に教え込まれました。小学校高学年の頃には、絞りの着物を着て親の外交に同行し、日常的に社会的な場に出ていたため、同年代の子どもたちと同じようなはしゃぎちらかす生活を送ることはありませんでした。
周囲の家族・親戚は、公務員や大企業に勤める人ばかりで、いわば「安定」や「社会貢献」が当然視される環境でした。そのため、私も病気や怪我を言い訳にできないほど、厳しく育てられました。学生時代の友人たちは、医師、薬剤師、研究者、行政関係者など堅実な道を歩んでおり、私だけがその流れに乗れないことに焦りや苦しさを感じることも多くありました。
とはいえ、祖父母は戦争の時代、武力ではなく外交で日本を守るという使命を果たしました。民間人でありながら、国のために貢献してきたその姿勢は、私にも「社会的責任」というかたちで受け継がれています。災害時に資本家たちが資産を国に寄付する姿を見たことのある人なら理解できるかもしれませんが、我が家系においてもそれは「義務」として自然に行われてきたことでした。
私は一般家庭の子どもではなく、大人として社交の場に出される幼少期で、大人として扱われるという中で、学校では一般家庭の子供として振る舞いを求められました。社会に出てから今の生活と過去のギャップに苦しむこともありましたが、それでも自分の育ってきた環境や得た教養は、今の私を形作る重要な要素であると感じています。
時代は変わり、価値観も多様化しています。今後、私のような環境に育つ人もまた現れるかもしれません。ですが、それがどうあれ、自分の歩む道は自分で決められる時代でもあります。