“見るだけの人”から抜け出す:受動消費から能動選択へ
インターネットが生活に深く根付いた今、自分自身がどのように情報と接し、時間を使っているのかを改めて見直す必要を感じている。
SNSやニュースサイトに加え、ここ数年で特に影響力を増してきたのが動画配信プラットフォームだ。YouTube、Netflix、Twitchなど、無限に近いコンテンツの選択肢が存在し、「何もしなくても時間が埋まる」仕組みが整っている。
1. 時間感覚の麻痺と能動性の低下
配信サイトは、視聴を止める明確な区切りがない設計(自動再生、アルゴリズムによる無限の推薦)になっていることが多く、「観終える」という感覚が曖昧だ。その結果、目的のないまま次々と動画を視聴し、何時間も経過していることがある。これは自発性の低下にもつながりやすい。
2. 情報消費から知的吸収への転換の困難さ
動画は情報の受け取り方としては受動的であり、自分の思考を働かせる余地が少ない。もちろん、学習用のコンテンツもあるが、それらでさえ「見た気になる」だけで終わってしまうことがある。“知った”と“理解した”の間にある深い思考プロセスが省略されやすい。
3. エスケープ手段としての依存性
精神的に疲れた時、現実から逃れるように配信サイトを開いてしまうことがある。それ自体が悪いわけではないが、無自覚に繰り返すと「現実逃避」のパターンが定着し、問題に向き合う力が弱くなる。
対策:配信サイトとの関係性を意識的に選ぶ
このような課題に対して、自分なりの向き合い方を以下のように再構築したい。
視聴に目的を持つ:単なる暇つぶしではなく、「なぜ観るのか」「観た後にどう活かすのか」を意識する。
使用目的の明確化:ネットを使う際は、「何のために」「どのくらいの時間使うか」を事前に決める。
タイマー管理:視聴時間に上限を設け、終了時間をあらかじめ決めておく(例:1日1時間、夜8時以降は視聴しない)
“能動的視聴”の姿勢を育てる:インプットだけでなく、メモを取ったり、感想を書いたりすることで情報を定着させる。
オフラインの代替習慣を作る:本を読む、手を動かす趣味を取り入れるなど、動画視聴以外で気分転換できる手段を確保する。
インターネットも配信サイトも、否応なく私たちの時間と注意力を奪いに来る。そのことを前提として、「自分が何を選び、何を拒否するのか」という判断の主体を、常に自分の側に取り戻すことが重要だ。
受動的な消費者から、能動的な選択者へ。
その意識を少しずつ習慣化していくことが、現代における「健全なインターネットとの付き合い方」だと、私は考える。
インターネットは本質的に善悪を持たない。ただ、その「使い方」が私たちの心身や社会との接点に大きく影響を及ぼす。距離の取り方次第で、味方にもなれば、自分を見失う原因にもなる。
私はそれを、より意識的・選択的なものにしていく必要があると感じている。無意識に流されるのではなく、自分で舵を取る。そのための試行錯誤を始める。