無痛

 痛みを感じないということがどれだけ幸せか。部分はハードさを極め動きづらく、心が削られる。それでも治したい。どうしたら良いか話した。自己対処に継ぐ対処の中、仕事や家事を熟し、ストレスから次の検査でさらに別の部位も併発する可能性も出てきた。保険を使うことも考えなければならない。

 悲しむかもしれない身内を私は 削ぎ落として削ぎ落としてきた。悲しませないためにどれだけの時間と努力を費やしただろう。 自分の何十年先の未来が見えていた過去。それがどんな形か想像がついていた。

SNS は 心の問題にだけに触れていたが、その人たちを守りたかった。それだけだった。いつかそれも出来ない。


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