大人なのにね



先日も聞こえた、「大人なのにね」というあの言葉。
子が他人に、子の親が他人に、老人が他人に、まるで呪文のように吐きかける。
その響きはやさしさを装っているけれど、実際は見下ろす視線の延長線上にある。
「大人なのにね」と言われるたび、人は大人であることを罰のように背負わされる。

責任を理由に感情を押し殺せ。
我慢を大人の証として誇れ。
子どもでも老人でもない“中間の存在”に、社会は忍耐を強要する。

けれど、誰が決めたのだろう。
大人は泣いてはいけない、迷ってはいけない、逃げてはいけないと。
老いた者もまた、年齢を理由に若者を裁く。若者もまた年齢を理由に老いた者を裁く。
「まだまだ青い」「自分の頃は」「人脈あるぞ」「金づるだ」と言いながら、時代を止めてしまう。

親子であれ、老人であれ、
人を抑えつける言葉でしか関係を築けないなら、
その“経験”も“年齢”も、ただの過去の亡霊だ。

私は思う。
大人なのにね、という言葉の裏には、
「自分はもう大人ではない」「自分はまだ大人ではない」という無自覚な逃避があるのだと。

大人であることに、理想も模範もいらない。
ただ、他人を縛らない大人でありたい。

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