優しさを与えるもの、受け取るものの有限性

 優しさは体力や知力と同じで有限のときもある。消費した優しさを回復するには時間が要る。

自分の時間も必要。相手の時間も必要。

通りすがりの誰かが泥で泥を投げ合うより、多少の体力や知力で、優しさを分け合うほうが合理的な気もする。まだ、過程の話でわからない。利用されてしまった優しさ、与えた優しさにみあう返還率がないと感じているから悲しみや怒りも湧くのかもしれない。そんなときはないて湯船に浸かり、暖かくして、美味しいものを食べて、ゆっくり自分の時間をとり内省して眠ればいい。起きたら、朝日を浴びて、ゆっくりお風呂に入ってみたり、映画や音楽を聞いてまた少し食べるといい。軽い、運動やストレッチや呼吸法を試してみるのもいい。なかなか、悲しみのなかで出来ないこともあるかもしれないけれど、それはそれでいい。

私は私でいい。




このブログの人気の投稿

2年の窓辺

“見るだけの人”から抜け出す:受動消費から能動選択へ

ササラ電車