親をやめた大人たち

 今日、駅で見かけた光景が頭から離れない。

母親らしき女性がスマホに夢中になっている隣で、小学2年生くらいの男の子が小さな声で「大人なのにね」とつぶやいた。注意するわけでもなく、怒るでもなく、ただ冷めた目で母親を見ていた。

「大人なのにね」——この言葉の重さに、思わず背筋がぞっとした。
本来、子どもが大人に対してそんな言葉を投げかける関係性って、普通ではない気がする。子どもが親を見下しているのか、それとも親に期待しすぎた結果の失望なのか。いずれにせよ、逆転してしまった「役割」のようなものに、深い異常さを感じた。

最近よく耳にする。「うちの子の方がしっかりしてて」「子どもに教えられることばっかり」なんて言葉。でも、それってちょっとおかしくないか? 子どもは子どもらしく、大人は大人として背中を見せる存在じゃないのか。

もちろん、大人だって完璧じゃないし、失敗もする。でも、だからこそ大人は責任を持って「子どもに見せてはいけない姿」を選び取るべきなんだと思う。
少なくとも、子どもに冷静に「大人なのにね」と言わせてしまうような、情けない姿は見せるべきじゃない。子どもの目に写る世界は、思っている以上に大人の影響を受けているのだから。

家庭の中で、大人の未熟さが子どもを「悟らせて」しまうような空気。
本来甘えていいはずの子どもが、精神的に親を支えざるを得ないような構造。
それが、どれほど静かで目立たなくても、確かに「異常」だ。

あの子の「大人なのにね」という一言が、社会全体への皮肉のようにも聞こえてしまった。

このブログの人気の投稿

“見るだけの人”から抜け出す:受動消費から能動選択へ

ササラ電車

親切の境界線は、思ったより遠かった