親切の境界線は、思ったより遠かった

偶然ひとつの小さな「事件」に遭遇した。

自転車ごと転倒した子供。誰もいない歩道。友達の姿もなく、親の影も見えない。痛そうにうずくまりながらも泣かないその姿は、むしろ妙に社会的だった。泣くことすら、自己責任のように見えた。

私はしばらく立ち尽くしていた。声をかけるべきか、かけざるべきか。それは一見、倫理の問題に見えて、実際は法とリスクの問題だった。

現代の公共空間における「関与」は、もはや法的曖昧性に包まれた行為である。

たとえば、「不審者情報」

善意で声をかけた人間も、その一報で「不審者」とラベリングされる可能性を孕む。法律そのものがそれを罰しているわけではないが、運用と感情がそれを罰するのだ。

私は知っている。児童福祉法も、刑法も、軽犯罪法も、声をかけること自体を禁じてはいない。だが、通報社会の文化的圧力は、法の外にある恐怖を現前化する。何度となく、その圧力と阻害を受けたからよく分かる恐怖心。

子供に「大丈夫ですか」と声をかけていた。同時にその瞬間、私は無意識に周囲を確認していた。カメラがないか、誰かがこちらを見ていないか、この行動が"記録"されていないか。それはまるで、魔女が薬草を拾うような慎重さだった。

子供は、最初、うまく受け取れなかったようだ。しばらく無言で頷きだけをみせて、怪我をしたパニックで更にうろついた後、こちらに助けを求める表情と空気感を発した。その瞬間を逃さなかった。もう一度だけ恐る恐る、だけど真っすぐに子どもに顔を向けて発した。「大丈夫?」と聞くと子どもは「大丈夫」と言った。だがその言葉は、強がりと見知らぬ大人の他者との接触を拒否する教育の結果に思えた。

教育とは何か?それは本来、他者とどう関わるかを学ぶプロセスであるはずだ。けれど今の教育の多くは、「どう他人を避けるか」「どうリスクを最小限に抑えるか」に傾いている。防犯教育は哲学的に言えば、他者不信の訓練になってしまっている。

私は最低限の介入として、「泥がついているから水で洗った方がいいよ」と言った。それだけでみるみる近づいてきて、子供の顔は、ようやく柔らかく、泣きそうになった。人間的な反応がそこに戻ってきたのだ。私は小さく微笑み、右の頬を撫で指しながら「右の頬に転んだときの泥が付いているから、そこの水道で洗い流したほうがいいよ。」と言った。傷の手当もせず、ただ水に触れる。その行為には原初的な浄化の感覚がある。

けれど、私はそれ以上の「癒し」を許されていなかった。傷を拭くことも、名前を尋ねることも、連絡先を聞くことも、それはすべて、社会的には越境とされかねない。

私は子どもが自ら水場で洗う姿を確認して、静かに、その場を離れた。怪我も大したものではなさそうだったことも、近づいてきてくれたから分かることが出来た。これ以上はその子どもの親やその知り合いの役割だ。顔見知りでもない、全くの他人の私に出来ることは今の時代、それが精一杯だ。そして考えた。今の社会では、「優しさ」は制度的には認可されず、「距離感」だけが合法的に認められる親切のかたちなのか、と。

もし哲学的に言うなら、私たちは善行において匿名性を強いられる時代に生きている。ニーチェが「善悪の彼岸」で語ったように、道徳とは個人の意志ではなく、社会の力学に左右されるものだとするなら、私はあの瞬間、「善い行為」をしながら、「悪意を疑われる可能性」と対峙していた。

これは、寓話のような矛盾である。竜を退治した騎士が、村人に魔物と間違われて石を投げられるような。

打開策があるとすれば、それは記録されない親切を育てることかもしれない。社会の中で法に触れず、誰の怒りも買わず、それでも他者をほんの少し助ける技術。あるいはそれを、「透明な思いやり」と名付けてもいいかもしれない。

私は帰った。その子が無事に家に帰れたかどうかは、もう私の知るところではない。でも、泥を落とし、水に触れ、顔を上げるあの姿だけが、今も心に残っている。

あのとき私がやったのは、関与しないふりをした小さな関与だったのかもしれない。不条理な現代の肖像だ。

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