うるさい沈黙の中で



最近、心がざわついている。
まるで、自分の中に静かな図書館があるのに、
そこに勝手に人が入ってきて、大声で話し始めるような感覚。

しっ。ここは静かな場所なのに。
私は本を読もうとしてるのに。
勝手に話しかけてきて、棚の本を乱して、
大事にしまっていた言葉を引っ張り出して、勝手に並び替えていく。

私の心の中には意味のある言葉だけを置いておきたい。ちゃんと並べて、読み返せるようにしておきたい。だけど、「どうでもいい人間」の「どうでもいい言葉」が、その秩序をメチャクチャにする。

面白がって、触らないでほしいところまで、勝手にページをめくる。まるで好奇心という名のナイフで、言葉を切り取って持って帰るみたいに。

ふと思った。
「あなたの好奇心は刃だ」って、やっぱりそうかもしれない。
読むべき本じゃないものを勝手に開いて、触れてはいけない言葉まで切り出してしまう。しかも、読むでもなく、理解するでもなく、ただ見世物にするためだけに。

最近、気づいた。
「優しい会話もできない人」は、図書館のマナーも守れない人だ。本を投げるように返したり、勝手に落書きしたり、タイトルだけ見て内容を決めつけたりする。

そういう人には、私の中の大切な言葉は読ませない。読解力のない者に、本を渡す義務はない。
知性も敬意もないなら、図書館から出ていってもらう。

そんな日々だった。
他人の言葉にざわついて、何も手につかなくなったけど、閉館の時間を決めるのは私なんだって思い出した。
不要な来館者は、どうぞ出口はこちらです。

明日は、もう少し照明を落として、好きな詩集を1ページずつ、静かに読めるようにしよう。ざわつく音の代わりに、自分の内側に耳を傾けられるように。

私の心の図書館は、私だけの静寂のためにある。



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