日常が非日常

 


今日のスケジュールを振り返ると、まるで時間管理の実験失敗例を体現していたようだ。


 朝は「起床」のはずが、実際は「覚醒直後から敗北感」だった。コーヒー片手で家を飛び出す時点で、すでに一日のエネルギー配分を誤っている。


午前の会議2つのうち1つは「情報共有」という名の下に、情報が共有されるよりも疲労が分配される場になった。人は一時間以上連続で会議すると集中力が下がるらしいが、どうやら今日はその実験対象に選ばれたようだ。


昼休みは「栄養摂取」という本来の目的が完全に消失し、メールを打つ姿は、傍から見れば人類と機械のハイブリッド”かもしれない。紙もの書類はほとんど字を書かなくなった今は、荷が重いがそれもこなさなければならなかった。体力仕事にもなってしまった。


午後は、もはや「効率化」とは逆ベクトルに進み、仕事を片付けるほど仕事が生まれる“自己複製タスク”の無限ループに陥った。まるで細胞分裂の観察をしているかのように、やるべきことが倍々ゲームで増殖していった。


夕方には脳の演算速度が著しく低下し、頭の中では「やること」と「やりたくないこと」が同じリストに混在。結果、深呼吸という低コストなリセット法に頼るしかなくなった。


夜になりようやく外に出ると、風が予想以上に心地よく、「酸素には無料のストレス軽減効果がある」ことを再発見した。今日一日の収穫は、科学的にはこれくらいかもしれない。


結論:
多忙な一日は、人間を「効率化マシーン」ではなく「不完全だがしぶとい実験体」であることを再確認させる。つまり私は今日も生き残り、そして明日は同じ実験を繰り返すのだろう。だが意識的に、休み時間と自分の時間を多めに取り、リセットしよう。


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