心理的安全と人間行動——ある閉鎖空間での観察記録
パンデミック期において、世界はかつてないレベルで「閉鎖性」に晒された。家庭、職場、社会すべてが、外部との接触を制限され、人々は「小さな社会」の中で生きることを余儀なくされた。
このような極限状態において、暴力・抑圧・混乱が起きるリスクは常に存在する。事実、それらはさまざまな場所で観測された。しかし、ある事例においては——閉鎖された空間で協力し、奪わず、個の境界を尊重し合った結果——非常に安定した心理状態と社会的関係が維持されたのだった。
特に興味深かったのは、性別・立場・価値観の違いがあったにもかかわらず、暴力的な衝突や支配関係が生まれなかったという点だ。
暴力や性的侵犯が発生しなかったのは、いくつかの心理的・社会的条件が揃っていたためだと考えられる:
心理的安全性(Psychological Safety)が自然に担保されていた。これは、相手が自分を否定したり攻撃したりしないと感じられる状態で、近年のチーム研究や教育分野でも注目されているキーワードだ。
互いに「他人」であるという適度な距離感が保たれ、親密すぎる関係がもたらす感情的混乱(嫉妬、期待、支配欲)を回避できた。
趣味嗜好や行動パターンの違いが、逆に「重ならない安心感」を生み出していた。
このような状況下において、人は「生存」だけでなく「尊厳」や「精神の安定」も必要とする。
基本的な衣食住は最低限維持されていたが、それだけでは不十分だった。むしろ人間の精神を支えていたのは、言語的・非言語的な信頼、秩序、そして自己決定感だった。
この事例では、強い支配構造や上下関係が存在しなかったことも、心理的な安定に寄与している。もしここに、年齢差・身体的制約・知能や教養・発言力・権力といった不均衡が存在していれば、簡単に秩序は崩壊していたかもしれない。
また、社会全体が閉鎖空間の連鎖のようになっていたこの時期、SNSやインターネットから距離を置くよう助言した識者の存在も、見逃せない。
外的情報の過剰摂取は、恐怖や怒り、不安の連鎖を引き起こしやすい。特に閉鎖的な環境では、自律神経系への影響が顕著に現れることが心理学的にも指摘されている。
そんな中、私は意図的に自分に「観察的実験」を施すことを選んだ。
あえて心の内側を観察し、自分の行動と心理の変化を記録してみたのだ。
それは一種の知的好奇心であり、「安全な範囲内で自分の限界を知ろうとする行為」だった。
> 「Curiosity killed the cat.」
——好奇心は猫を殺す
イギリスのことわざであり、「度を超えた探求心が破滅を招く」ことを戒めている。
しかし、裏を返せば**「好奇心が行動を促す起点になる」**こともまた事実だ。
私はその好奇心に「職(役割)」を与え、安全圏の中で行動させることで、命や精神を危険に晒すことなく、人間観察と自己理解の深化を得ることができた。
実際、心理学の研究でも、好奇心が高い人は人生満足度が高く、ストレス耐性も強いとされている。さらに、他者への興味が共感力を高め、異なる価値観を理解しやすくなることもわかっている。
これは社会的信頼や人間関係の質を高めるうえでも重要な因子となる。
結果的に私は、あのパンデミック下という混沌の中で、「世界をより多く、より深く見る」という豊かな体験を手に入れた。
それは、不謹慎を承知で言えば、人生の中で最も精神的に充足した期間でもあった。
閉鎖と制限がもたらすのは、必ずしも絶望だけではない。
条件が整えば、それは深い自己観察と内的成長の機会となり得るのだ。