人間というコスト、機械という誠実
今日もまた、無言の店員に出会った。
「こんにちは」と言っても無反応。レジ打ちも無言。袋詰めも無言。
こちらを一瞥すらしない。まるで、私が人間ではなく、空気の塊でもあるかのように。
この数秒で、私は確信した。
この人間に、金を払う意味はあるのか?
人件費という名のコストが、この「無視の時間」に支払われているのだと思うと、馬鹿らしくなる。
挨拶もない。返事もない。ただ立って、流すように商品を処理するだけ。
それで「給料」という名の報酬が与えられる。
客を「人間として扱う」という最も基本的な行為を放棄しているのに。
言葉は悪いが――だったらもう、機械でいい。
機械の方がまだマシだ。
無表情でも、無愛想でも、AIレジは手際がいいし、無礼でもない。
それに対して何も期待していないから、失望もしない。
人間のフリをして、心を込める気もない接客より、はるかに誠実だ。
金の流れが狂っている。
「人」であるだけで給料が発生し、態度はゼロ。
「サービス業」でありながら、サービス精神もゼロ。
それでも雇い続ける企業は、コスト意識が腐っているか、あるいは“顔のある人形”を置いておきたいだけなのか。
思えば、接客の価値って何だったんだろう。
かつては笑顔に金を払っていた。気配りに対価を支払っていた。
でも今は、沈黙に、冷淡に、そして無視に金を払っている。
ふざけるな、と思う。
もし、挨拶も、返事も、視線すらも出し惜しむなら、もうその人間に「時給」は不要だ。
その労働は、“存在する”以外の価値がない。
だったらせめて、人間らしさを演じる機械の方がよほどまっとうだ。
金があるから仕事が生まれる。
でも、人が人である努力を放棄するなら、そこに金を落とす価値はない。
誰かが立ってさえいればいい時代は、もう終わりにしなければならない。
人間は“高い”。
ならばそれに見合った振る舞いをしてくれ。
それができないなら、あなたはただの“高すぎるエラー”だ。