誰にも言えない感情たち
今日は妙に心がざわつく一日だ。
通りすがりの子どもが、悪気もなく放った一言に、
苛立ちが芽生えてしまった。
道をふさぐように立っていたおじいさんに、
「急いでるのに」と、無言の怒りをぶつけそうになった。
そんな自分に嫌気がさす。
なぜ、怒りを感じてしまうのだろう。
たぶん、どこかで「自分は守られなかった」という思いがあるのだろう。
頑張っても報われなかった過去、
誰も気に留めてくれなかった痛み。
子どもや老人が「当然のように」配慮される姿に、
胸の奥で冷たい嫉妬が芽を出す。
それは、誰にも見せられない自分の影だ。
夜、何気なく開いたYouTubeで、
とある配信者が「幸せになる方法」「無駄な努力のやめ方」と題した動画を高飛車な口調で語っていた。
「努力が足りない人は、結局甘えてるだけ」
「夢は叶えようとしない人には価値がない」
まるで他人の人生を見下ろすようなその語りに、
画面越しでも腹が立った。
それでも高評価はついていて、コメントには「さすがです!」「本当に正論」と並んでいた。
正論、なのか?
あの人たちが見ていないところで、
どれだけの人が小さく潰れていったのだろう。
正しさは時に、
人を踏みつける凶器になる。
私は、画面を閉じて、
目の前の洗い物を丁寧に片づけた。
それが誰かに届くわけでも、称賛されるわけでもない。
だけど、自分への理不尽さに、自分だけは目を背けずにいたい。
嫉妬してしまう自分も、
怒りを感じる自分も、
誰かの言葉に傷ついた自分も、とても鋭く、そして複雑で繊細な生き物だ。それは、誰かに見せることのない感情かもしれないけれど、たしかに多くの人の胸の中で渦を巻いているものです。
そうした心の重さを静かに受け止め、怒りも、悲しみも、どこかへ押しやるのではなく、そっと隣に座らせて、温かいものを飲む。
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