眠りの残響を抱えて



目覚めた瞬間、身体のどこか奥深くに沈殿する重さを感じた。眠ったはずなのに、休息とは別の次元の感覚が残っている。肉体は布団から起き上がっても、精神の輪郭はまだ夢の底に滞留しているようだった。

疲労とは単なる「疲れ」ではない。蓄積された思考の澱(おり)、未消化の感情、身体の内に堆積した情報の残響。それらが静かに、だが確実に、内側から私という存在の輪郭を摩耗させていく。

こういう朝には、焦らず丁寧に、自分を組み立て直すことが必要だ。熱すぎない珈琲を淹れ、静かな音楽を聴く。他人のブログを見る。意味を問うより、言葉の響きに耳を澄ます。それはまるで、霧の中でかすかに灯る灯台のように、ぼんやりとした自分を現実へと導いてくれる。

私たちは、疲れを感じるときほど、思考を深める余白を持てるのかもしれない。速く走るために立ち止まるのではなく、立ち止まるという行為そのものが、すでに一つの運動であると考えることもできる。

今日は、できるだけ静かに、丁寧に、生きようと思う。




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