光の余白に触れる


懐かしい写真たちが、そっと呼吸していた。

カシャ、という音のない瞬間が

まるで今も 私を待っていたかのように。


あのときの私は、笑えていたかな。

少しだけ無理してたような

でも、それでも笑いたかったような。


写真は、ほんとうの感情を

うまく映してくれない。

けれど、うつくしく景色を止め残してくれる。

切り取られた時間の中で

やさしく補正された記憶のように

「たいせつ」と名づけた瞬間たちが並んでいた。


現実では見えなかった、光の揺れ。

風のにおい。

隣にいた人の、声じゃなくて体温。

あの日、気づけなかったものたちが

写真になって やっと私の胸に降りてきた。


幻想みたいな現実。

現実に似た幻。

写真はどちらでもあって、どちらでもない。


心がざわつくとき、

涙が理由をもたず流れるとき、

私はそっと一枚の写真を手に取る。

そこに、私の過去も、

癒えていない現在も、

まだ来ない未来も、静かに重なっているから。


写真は、言葉よりもやさしく

記憶よりも確かに

「生きていた証」を撫でてくれる。



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